ウズベキスタン観光といえば、シルクロードの遺産を目的とする方が多いのではないでしょうか。シルクロードのオアシスとして古くから栄えてきたウズベキスタン。その東西の文化が融合した壮麗な建築物や街並みの美しさは、ウズベキスタンだからこそ体験できるものです。
ここでは、観光客を魅了するウズベキスタンの魅力をお届けします。
ウズベキスタンの魅力は語り尽くせませんが、ここでは「タシケント」「サマルカンド」「シャフリサブス」「ブハラ」の4都市についてご紹介します。
ウズベキスタンの首都「タシケント」は、中央アジア最大級の都市。アジア・ヨーロッパ・北アメリカ大陸を結ぶ空の玄関口「タシケント国際空港」があり、近代的なビルが建ち並ぶ大都市です。
タシケントの旧市街、モスク(礼拝のできるイスラム教寺院)やメドレセ(イスラムの神学校)の集まる広場に「ハズラティ・イマーム・モスク」があります。
礼拝のある金曜日には、いまも多くの人が礼拝に訪れる、住民に親しまれているモスクです。特徴的なウズベキスタン建築のモスクを外から眺めるだけでも心を奪われるような感動が広がります。
16世紀シャイバニ朝のバラク・ハーンによって建てられた神学校です。ソ連時代には中央アジアにおけるイスラム教の本庁として重要な役割を担い、現在もウズベキスタンのイスラム教本庁が置かれています。
入口のアーチには、美しいモザイク模様とアラビア語の文様が描かれており、中庭のバラ園は、まるで美の幻想の中に身を置いているかのようです。
上記「バラク・ハーン・メドレセ」の中にある、10世紀の神学者・詩人「カファリ・シャーシ」を祀った廟(お墓)です。16世紀建築の霊廟には、靴を脱いで上がることもできます。由緒ある敬虔(けいけん)な場所のため、敬意をこめて穏やかな気持ちで過ごしましょう。
客席1400席、レンガ造り3階建てのビザンチン風建築の劇場では、バレエやオペラなどの公演が行われ、夜には美しくライトアップされます。
第二次世界大戦でソ連の捕虜となった日本人が劇場の建設に関わったことで知られており、劇場にあるプレートには、日本兵を称えるプレートが設置されています。
石器時代から現代まで、ウズベキスタンの歴史について広く知ることのできる博物館です。日本のガイドブックなどにはない遺跡の説明などもあるため、観光前に訪れるといいでしょう。
この博物館での一番の見どころは、ガンダーラ仏像。仏像の両脇に立つ僧の手の部分は失われていますが、1〜3世紀のクシャン朝時代の作品とは思えないほど保存状態はいいものです。
1907年建築、ロシア公使の私邸を利用した博物館です。あまり大きな博物館ではありませんが、見事なスザニ刺繍の展示など見応えがあります。なかでも素晴らしいのが、美術館そのもの。建物の外壁・内装ともに美しいイスラム装飾が施され、美術館自体が展示品と言っていいかもしれません。
サマルカンドには青を基調としたイスラム建築が並び、その美しい青色は「サマルカンドブルー」と呼ばれています。青いタイルの貼られた、美しく荘厳なイスラム建造物が街中のいたるところに見られ、青の都とも呼ばれるウズベキスタン最大の観光都市です。2001年には、ユネスコ世界文化遺産にも登録されています。
ティムール朝がサマルカンドを都と定めて以降、サマルカンドの中心として存在してきた「レギスタン広場」。広場を囲むように3つのメドレセ(神学校)が建っています。ターコイズブルーと複雑な幾何学文様が織りなす壮麗なモザイク壁画・天井ドーム・ミナレットは、実に壮観。夕暮れ時の光景は、まるで神秘の幕が降りるような美しさです。
広場の中央奥に見えるのが1660年完成の「ティリャー・コリー・メドレセ」。内部にはモスクがあり、礼拝所の天井は金箔を3kgも使った壮麗なものとなっています。正面向かって右手、動物と人面が描かれた門のあるのが、1636年に完成した「シェル・ドル・メドレセ」。左手にあるのが最も古い、1420年に建てられた「ウルグ・べク・メドレセ」です。
アフラシャブの丘に立ち並ぶ「シャーヒ・ジンダ廟群」。「死者の通り」とも呼ばれるこの霊廟群には20以上の廟があり、聖地として多くの巡礼者が訪れます。この廟のいずれもが、天高くまで青く輝くタイル造り。どこからともなく聴こえてくるコーランの中、夕日と廟の異国情緒あふれるその佇まいは、これまでにない体験をもたらします。
ティムール王朝の創始者ティムールが王妃のために建設したモスク。ドームの高さは40m、外壁の長さも167m×109mと広大です。中庭に設置された大理石の「説教台」を3周まわりながらお願い事をすると、願いが叶うと言われています。
ペルシア語で「王の墓」という意味のグーリ・アミールは、サマルカンドを象徴する歴史的建造物のひとつ。ティムール朝の建国者ティムールとその一族が眠っています。もともとはトルコ遠征中に没した孫のムハンマド・スルタンのために、ティムールが1404年に建設したのですが、翌年にティムール自身も死去し、この廟に一緒に葬られました。
ティムールの孫、ウルグ・ベクが建設した中で最も有名なのが「ウルグベクの天文台」です。ティムール朝の第4代君主でありながら天文学者でもあったウルグ・ベクは、1420年代、天文学研究のために天文台を建設。観測を続けた後、「ズィージ・スルターニー」と呼ばれる天体や星の一覧表を作成しました。日本でいえば室町時代だった頃に作られたものですが、現在の観測機と比べても誤差は1分未満といわれ、正確さを誇ります。
アフラシャブ博物館の裏手に広がるのが、アフラシャブの丘です。この場所には、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍に破壊されるまで、何世紀もの間サマルカンドの町が存在していました。
博物館では、アレクサンダー大王時代のコインや、貴族・中国人などが描かれた色鮮やかなフレスコ画を展示。当時の様子をCGで再現したVTRを流していたり、一度は埋もれてしまった宮殿の壁画が展示されていたりと、サマルカンドの歴史をわかりやすく解説しています。
サマルカンドから南方に70kmほどのところにあるシャフリサブス。以前は、心が休まる場所という意味の「ケシュ」と呼ばれていました。2004年にはシャフリサブス歴史地区が世界遺産に登録され、多くの人が訪れる歴史ある町です。
「アク・サライ」の意味は、アク(白い)サライ(宮殿)。当時は、青色と金色のタイルで装飾された、眩いばかりの美しい宮殿だったそうです。ティムールが建築した宮殿で、破壊される以前の入り口のアーチは70m以上もあったとか。ティムールの権力の大きさが感じられます。
2004年に世界遺産に登録されたのが、ドルティロヴァット建築群とドルサオダット建築群のある「シャフリサブス歴史地区」です。ティムール朝を築いたティムールの誕生の地として知られており、2000年以上の歴史があります。しかしながら近年は過度な開発が進み、危機遺産としても登録されました。
ドルティロヴァット建築群
ドルッティロヴァットの意味は「瞑想の家」。ティムールの孫で名君としても知られた「ウルグ・ベク」の建設したモスクを中心に、「金曜モスク」「グンヴァズイ・サイダーン廟」「シャムスッディーン・クラール廟」などで構成された建築群です。 預言者ムハマンドの血を引くといわれる「テルメイド」の墓石があることでも知られています。
ドルサオダット建築群
ティムールが、22歳で戦死した長男のために建てた「ジャハンギール廟」などがあります。
イスラム美術の宝庫と言われている「ブハラ」。その旧市街は、1993年に「ブハラ歴史地区」として世界遺産に登録されています。かつては200以上のメドレセ(神学校)があり、古くから学問、交易の中心地としても栄えていました。
歴代のブハラ君主の居城として使われていた「アルク城」は、ブハラ発祥の地であり、最初の城壁は、紀元前4世紀に築かれたといわれています。
領主の宮殿ではありましたが、城内には政治や経済に関するさまざまな施設もあり「街の中の街」として機能していたようです。
旧市街のどこからでも見える町のシンボル「カリヤン・ミナレット」は、世界遺産都市ブハラで最も高い尖塔。カラハン朝の君主アルスラン・ハンによって、1121年から6年の歳月をかけて建築されました。
煉瓦の組み方だけで表現した繊細なモザイク模様は非常に美しく、攻めてきたチンギス・ハーンが、この塔だけは破壊しないように命じたとも言われています。
「カリヤン・ミナレット」に隣接したモスクです。「カリヤン」とはタジク語で「偉大」という意味。その名の通りミナレットもモスクも規模が大きく、モスクは、中庭を利用すると1万人が礼拝できるほどの広さがあります。
892~943年にかけて建造された「イスマイル・サマニ廟」。ブハラに都を置いていたサーマーン朝の君主「イスマイル・サマニ廟」が、父親のために建築。しかし建築途中でサマニ自身が亡くなったため、この呼び名になったと言われています。
1926年、考古学者に発掘されるまで砂の中に埋もれていたため美しい姿を残しており、廟を3周すると願いが叶うという言い伝えもあり、多くの観光客を惹きつけます。
「タキ・バザール」とは、大通りの交差点を丸屋根で覆った市場のこと。旧市街の交差点が石造りのアーケードとなり、その下には多くのお店が軒を連ねています。このようなバザールを覗きながら歩くのも旅の醍醐味。お店の方との値段交渉も、旅のいい思い出になります。
ウズベキスタンは、中央アジアに位置する乾燥した内陸国。東部には山岳地帯、西部には砂漠地帯が広がります。では、ウズベキスタンを旅行するにはどのような服装がいいのでしょう。
ウズベキスタンの大部分は、大陸性気候。降水量は年間を通して少なく、雨が降る日も30日程度しかありません。また、夏には40度を超える一方、冬にはマイナス10度を下回ったりと、寒暖差の激しいのが特徴。観光に行くなら、気候の比較的安定している3月〜6月、9月〜11月がおすすめです。
ウズベキスタンにおけるイスラム教徒は、約9割を占めます。季節にかかわらず、女性は、体の線・胸元・腕・脚などを隠す、肌の露出のない服装が好ましいでしょう。そして、モスクなど宗教施設に入る際はスカーフを巻く必要があるため、事前に用意しておくのがおすすめです。
ウズベキスタンの主食「ナン」。ウズベキスタン料理の「ナン」はインド料理の「ナン」とは異なり、円形の固めのパンのことです。地方によって「ナン」のスタイルは様々で、中でもサマルカンドは美味しいと有名です。
ここではウズベキスタンで食べたいお料理をご紹介します。
ウズベキスタンを代表する料理といえば「プロフ」。羊肉と野菜をスパイスやブイヨンで煮込んだ料理です。タシケントでは羊肉と黄色い人参を一緒に炊き込むなど、地方によってバリエーションが異なります。
「ラグマン」もウズベキスタン名物料理のひとつです。中国から西に伝わった「小麦粉」を使用した麺の料理のため、シルクロードらしい食べものといえます。一般的には、羊肉やトマトをベースにしたスープで食べますが、焼きそばのように焼いて食べることもあります。
ウズベキスタンに行ったら、異国情緒を感じる伝統工芸品などをお土産にしたくなります。人気なのが伝統刺繍布「スザニ」。ウズベキスタンの嫁入り道具のひとつとして、母親が娘のために刺繍した布地です。スザニの模様や色合いは地方によって特徴があり、描かれる模様にも意味があります。手作りのため一品一品色味なども異なり、お気に入りの1枚を見つけてはいかがでしょうか?
またブハラでよく見かけるのが「コウノトリの形をしたハサミ」。おもしろいデザインというだけでなく機能的にも優れ、とても良い切れ味です。ほかにも、青や緑などの色合いの陶器・ワイン・ドライフルーツなどもお土産に人気があります。
シルクロード交易で栄えたウズベキスタンのオアシス都市には、それぞれの領主が残した歴史や伝統が今も息づいています。東西文化が融合し、美しい街並みや壮麗な建築物が息づくウズベキスタン。歴代の領主が残してきた文化や伝統を体験し、シルクロードの足跡を辿る旅に出かけましょう。
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ウズベキスタン DATA ・国・・・ウズベキスタン共和国 ・言語・・・ウズベク語(公用語)、ロシア語 ・通貨・・・スム ・日本との時差・・・マイナス4時間 ・飛行時間・・・約9時間 ・気温・・・夏平均26℃、冬平均1℃ |